● ris(A)bell ●
赤黒の旗の下、永遠なる絶対自由を!
2008 051234567891011121314151617181920212223242526272829302008 07
現実主義という悪魔
アナキズムというのは夢想であり、現実味を帯びない青臭い理想というイメージがある。何故なら基本である「支配しない・支配されない」というそれは理想だからだ。人間は何かしらの欲を抱えているし、欲がある限りは何らかを手に入れたいという所有欲が沸く。手に入れた段階でそれが物であれ人であれ、その対象を“支配した”ということには違いない。また、人間が社会的動物である限りは何らかの支配に甘んじざるを得ないし、理想を掲げたところで果たして「支配しない・支配されない」ように生きられるのか?ふと現実に返ると溜息が出ることが多い。

ただ、理想には大きな価値がある。「支配のない社会の実現が不可能で人間は欲に支配されている生き物だ」としても、「支配しない・支配されない」という理想を持っている限りは、その欲を最小限に抑えることができる。「現実はそうなんだからしょうがない、無駄なことだ」としてしまった場合には、現実よりも更に社会の中の支配構造が強くなる可能性があるという意味で、現実主義は危険であって悪魔でもある。視点を理想に置く方が−方向に転がることを防ぐことができる訳だから、私は理想主義者であることを敢えて選びたいし、選んでもいる。アナキズムの反権力、反権威についても同様で、アンチを唱えたところで権力も権威もなくならないのだから「無駄なことだ」としてしまうのはやはり現実主義の弊害だとも思う。なくならないのならばどっちにも疑いと監視の目を持ってしてコントロールする必要がある訳で、その為には反骨精神は絶対である。

人権主義についてもそうだ。全ての人間の人権が同じように尊重される社会の実現が可能かどうか?不可能だとも思うし、そう考えると人権主義は大いなる理想に過ぎない。人権という言葉さえ知ることなく、修学さえ出来ないような貧しい地域に住む人間もいるのだから、人権主義などというのは豊かな国に生きている私らだから口にできる甘っちょろい戯れ言だ、と。現実に日本国内に置いても人権というものに違和感を持っている人がいる以上はそんなものは信じるに値しない、宗教だ、神話だという保守的な現実主義もまた怪物である。理由は同じで、実現不可能=現実味を帯びていないから人権は信じるに値しないとしてしまえば、現実よりも更に人権が尊重されない社会へと転がり落ちてゆく可能性が出てくる。やはりこの場合も、理想を基準に置くことによって現実よりも悪くさせずに、理想に近づけることが可能だから、人権主義には価値がある。

これは9条の存在についても言えるわけで、現実にそぐわないという理由から平和憲法を変えるということは、理想を捨てて現実主義を取るということであって、その結果、現実以下の状況に転がり落ちる可能性があるのだということを指摘したい。そもそも憲法は、国の最高法規というのは国家の進むべき、歩むべき理想を掲げるからこそ意味がある訳で、現実的な調整は他の細かい法律でいくらでもできる。例えば憲法の24条、男女平等は現実的ではないし、現実には様々な差異もあり不平等があったとしても、理想として24条は必要なものである。何故なら男女の精神の対等性、これを維持することが人権主義の理想であって、理想があれば現実以下には転がらないからだ。

「現実を見ろ」という指摘には穴が多すぎる。
理想を維持したまま現実を見るのは当たり前だが、理想を持たずに、信念を持たずに現実を見る人間というのはアテにならないし、一番恐ろしいとも思う。要するに現実をみて「長い物に巻かれろ」、「郷にいれば郷に従え」ということだとも思うし、その日本人に典型的な価値観というのが私は恐ろしい。何故なら、彼らは流れ次第でどんな価値観にも擦り寄る可能性もあるし、多数=是という意味でそこも気にくわない。私は中道の理想なき現実主義たちにある種の危機感を感じている。